40階段
21,097
1
2 故郷を離れ、40階段に腰かけて泣いていた異邦人たちは、その後どうなったのだろう。
故郷に戻れる日だけを待っていた避難民たちの暮らしの場。その人生の哀歓を感じながら40階段を歩いてみよう。
釜山都市鉄道1号線の中央駅からそれほど遠くないところに、40階段はある。韓国戦争の際、旧釜山駅舎が近くにあったため、全国から集まった避難民たちの生活の中心は、自然と40階段一帯になった。40階段は釜山港の埠頭と高台の貧民街をつなぐ役割をしていたが、戦争中に生き別れとなった家族が再会する場所であり、救援物資が売買される市場でもあった。「釜山に着いたら、40階段で会おう」という言葉だけを信じて、階段の近くで何か月も待っていた人もいるほどだった。厳しい避難生活の哀歓が染み込んだ場所であり、当時ほとんどが釜山駅周辺に住んでいた避難民たちの暮らしの現場でもあった。